福岡高等裁判所 昭和28年(う)203号 判決 1953年12月05日
控訴人 検察官 鎌田亘
被告人 山崎シズ 弁護人 水谷金五郎
検察官 中倉貞重
主文
原判決を破棄する。
被告人を罰金四千円に処する。
右罰金を完納することができないときは、金弐百円を壱日に換算した期間、被告人を労役場に留置する。
原審竝びに当審における訴訟費用は、全部被告人の負担とする。
理由
本件控訴の趣意は記録に編綴されている原審検察官中野和夫作成名義の控訴趣意書記載のとおりであり、これに対する答弁は、弁護人水谷金五郎提出の控訴答弁書と題する書面記載のとおりであるから、いずれもこれを引用する。
同控訴趣意について、
被告人に対する本件公訴事実は「被告人は大分県北海部郡下北津留村大字井村千九百五十二番地において貸席(山崎屋)業を営んで居る者であるが、昭和二十七年七月下旬頃より同年十一月二十日頃迄の間、前記自宅において満十八歳に満たない児童である秀子こと吉岡八重子(昭和十一年一月四日生)を前後数十回に亘り、足立禎外名数の男性を相手に淫行をさせたものである」というのに対し、原審は、被告人は貸席業者で児童の吉岡八重子を戸籍謄本その他の公信力ある書類等により、その年齢を確認することなした使用して淫行をさせたものであるから一応刑事責任を免かれないものと断じてよいのであるが、(一)右吉岡八重子は、大分県に来る以前島根県出雲市の貸席で従業婦として働き、その後津久見市の福住、臼杵市の大盛屋等の貸席でも年齢を昭和七年一月四日生れと詐称し従業婦として働いていたものであり、(二)ことに大盛屋では所轄警察署から貸席の従業員証の下附をうけて稼働していたこと、(三)被告人の夫山崎耐作は右の事実に基き、吉岡八重子の年齢を満十八歳以上であると何等疑うところなく、前借金六万円を大盛に支払い、八重子を抱えこんで、所轄警察署にも臆するところなく届出て従業員証の下附をうけており、しかも右前借金は今尚回収不能で被害を蒙つている点を綜合勘案すると、被告人は、八重子が満十八歳以上であると信じ且つ、かく信ずることに相当の理由があつたものであるから、被告人に八重子の年齢を知らなかつたことにつき過失があつたと断じ、本件につき刑事責任を問うことは、たとい被告人に戸籍抄本その他公信力ある書類によりその年齢を確認しなかつた事実があるとするも、条理に反するものといわねばならない。従つて被告人は八重子を雇入れるにあたり、同人が満十八歳に満たない児童であるということを知らず且つその知らないことについて過失があつたとも言えないので本件は罪とならないものと認定して、被告人に対し、無罪の言渡をしていることが明らかである。
ところで記録を精査すると、原判決が認定した前記(一)乃至(三)の各事実は、いずれもこれを認定することができるが、原判決において被告人が八重子の年齢が満十八歳に満たないことを知らなかつたことに過失のなかつた理由としてあげている前掲(一)の八重子が被告人方に仕替をする以前、各地の貸席で年齢を詐わり従業婦として働いていたこと及び(三)の被告人が右八重子を前借金六万円を支払つて抱えこみ、しかも現に同金額の回収不能に陥り却つて被害をうけているとの事実は、ただ被告人が八重子の年齢を満十八歳以上であると信じ、同人が児童であることを知らなかつたことの認定資料になることはあつても、これを以てその年齢を知らなかつたことについての過失の有無を判定する資料となるものとは到底解することができない。そして、また、前記(二)の理由の八重子は、被告人方に仕替をする前の臼杵市内の貸席大盛屋において所轄警察署から従業者証の下附をうけて稼働していたもので、被告人の夫山崎耐作がその事実に基き、八重子の年齡を十八歳以上であると信じて疑わなかつたとの点についても、大分県及び臼杵市における風俗営業取締法施行条例、同条例取扱規程によると風俗営業である貸席の営業者は、従業者を雇入れたときは、五日以内に所轄警察署長に対し、戸籍証明書、健康診断書、及び写真二葉を添付してその届出をなし、同警察署長は右届出のあつたものに対して一定した様式の風俗営業従業者証(以下単に従業者証と略称する)を交付するもので該従業者証はもともと右のとおり厳格な手続に基き、警察署長から交付される建前となつてはいるが右従業者証は満十五歳以上の風俗営業従業者に対して交付されるものであるばかりでなく、本件記録及び原審竝びに当審で取り調べた証拠によると、臼杵市警察署及び臼杵地区警察署においては従前から、貸席の営業者が警察署長に対して、従業者雇入の届出をするにあたり、従業者の戸籍謄本又は戸籍抄本の取寄に日数を要することを口実として、これら戸籍証明書を添付せず、雇入届書に健康診断書と写真を添付しただけで書類不完備のまま届出をしても、たんに風俗営業の取締乃至実態把握の必要上から戸籍証明書の追完を条件として右届出さえあれば、ひとまず、簡易に従業者証を交付する便宜な取扱が可成り多かつた実情に在つたこと現に八重子が以前、臼杵市内の貸席大盛屋で働くようになつた際営業者から所轄臼杵市警署長に対してした、雇入の届出も、戸籍証明書を添付せず便宜な取扱により戸籍証明書の追完を条件としてひとまず、従業者証の下付をうけていたもので、しかもその後、戸籍証明書は遂に、追完されておらず又右八重子を大盛屋から仕替して被告人経営の貸席山崎屋に雇入れた際、所轄臼杵地区警察署長に対するその届出に当つても、これまた便宜な取扱により戸籍証明書を添付せず、その追完を条件として、従業者証の交付をうけているなど警察署長の交付する従業者証は多くの場合営業者の提出した雇入届書のみに準拠して交付されていたことが認められるし、なお移動証明書の不携帯等後段認定の事情があるのにかかわらず、八重子が被告人方に仕替をする前前記貸席大盛屋で従業婦として働いていたとき、所轄警察署長から従業者証の下付をうけていた事実に基き、右八重子雇入の衝に当つた被告人の夫、山崎耐作が八重子の年齡を満十八歳以上であると信じて疑わなかつたとの一事を捉えて、原判決のように被告人が、八重子の十八歳未満の児童であることを知らなかつたことにつき、過失があつたということはできないものと認定するのは失当であるといわねばならない。この点に関する弁護人主張の答弁も首肯し難い。
そもそも、児童福祉法第六十条第三項において、児童を使用する者は、児童の年齡を知らないことに過失のない場合でない限り、児童の年齡を知らないことを理由として、児童の使用に関する禁止違反行為の処罰を免かれ得ないものとした所以のものは児童を業務上使用する者に対し法律上、児童の年齡を確認するについては、たんに児童を使用する者の主観はもとより児童の申述のみを以ては足らず、児童の保護者或は監督者につき、又は戸籍謄本、同抄本、移動証明書、配給通帳等の公信力ある書面等により、客観的に通常可能な調査方法により児童の年齡を確認すべき義務を科し、苟も、十八歳未満の児童をして、同法所定の児童の使用に関する禁止行為に従事させることのないようにし、以て児童が心身ともに健やかに育成されることを保障し企図したものであることに鑑みると、児童を使用する者が、その児童の年齡を確認するについて、客観的に通常可能な調査方法を講じ万全の措置を採つた形迹の認められない限り、児童を使用する者がたとい児童の年齡を知らなかつたとしてもその知らなかつたことに過失がないものとはいい得ないものと解するのが相当であるところ既に前段認定したように(一)所轄警察署長から交付される従業者証が、多くの場合実際、営業者の提出した雇入届書のみに依拠する便宜な取扱により交付されていた経緯に関する事実に、本件記録によつて窺われるように(二)被告人は八重子から年齡確認の点につき戸籍謄本又は同抄本に代わる公信力あり、しかも日常生活上必要欠くべからざる移動証明書を徴することなく、漫然同人を従業婦として雇入れている事実、また(三)被告人は八重子を雇入れるに際し、同人の年齡を熟知している近親者を関与させることもなく、ただ八重子本人と交渉しただけにすぎない事実、更に(四)被告人方において、八重子が所轄警察署長から交付を受けた従業者証は前記のとおり便宜な取扱により、同署長から同人の戸籍証明書を追完することを条件として交付されたのにかかわらず被告人はその後八重子に戸籍謄本又は同抄本の取寄を命じもせず又自ら同人の本籍地にその戸籍の回答を求めたこともない事実など、これら諸般の事実を考え併せると、被告人は児童を使用する者として、負担する児童の年齡を確認するについての前掲義務を充分に尽した者とは到底認められないので前段説明したところにより、被告人は十八歳未満の児童である八重子の年齡を知らなかつたことに過失がないものとは、いい得ないものといわねばならない。
してみれば、原判決が前記冒頭に摘示した(一)乃至(三)の事実に基き貸席業を営む被告人がその従業婦として雇入れ、淫行をさせた判示児童である八重子の年齢を知らなかつたことに過失がないものとして、被告人に対し、無罪の言渡をしたのはその過失の有無に関する認定を誤つた結果、事実を誤認したものでその誤が原判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、原判決は刑事訴訟法第三百九十七条、第三百八十二条に則り破棄を免かれない。論旨は理由がある。
そして当裁判所は本件記録及び原審並びに当審において取り調べた証拠により直ちに判決をすることができるものと認めるので、原判決を破棄した上、同法第四百条但書に従い、更に本件につき次のとおり判決をすることとする。
罪となるべき事実
被告人は肩書自宅で屋号を山崎屋と称して貸席業を営んでいるものであるが、昭和二十七年七月下旬頃から同年十一月二十日頃までの間同所で従業婦として雇入れた満十八歳に満たない児童の秀子こと吉岡八重子(昭和十一年一月四日生)を前後数十回に亘り足立禎外多数の男性を相手として売淫させ以て児童に淫行をさせたものである。
証拠の標目
判示事実は
原審第一回公判調書中、被告人の供述記載
当公廷における証人山崎耐作、同新宮返蔵、同園田恒輔の各供述
原審第二回公判調書中、証人山崎耐作の供述記載
原審第三回公判調書中、証人新宮近蔵、同大見勝、同小野福一の各供述記載
吉岡八重子の司法警察員及び検察官に対する各供述調書(謄本)中の供述記載
足立禎、松井正、佐藤次雄の司法警察員に対する各第一回供述調書中の供述記載
吉岡八重子の戸籍抄本一通
を綜合してこれを認定する。
法令の適用
被告人の判示所為は、児童福祉法第六十条第一項に該当するので所定刑中罰金刑を選択し、その所定金額の範囲内で被告人を罰金四千円を処し、右罰金を完納することができないときは、刑法第十八条により金二百円を一日に換算した期間、被告人を労役場に留置することとし、なお原審竝びに当審における訴訟費用は、刑事訴訟法第百八十一条第一項により被告人をして全部これを負担させることとする。
よつて主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 西岡稔 裁判官 後藤師郎 裁判官 大曲壮郎)
検察官の控訴趣意
一、原判決は判決に影響を及ぼすことが明らかな重大な事実の誤認がある原判決は被告人に戸籍抄本其の他公信力ある書類により児童である吉岡八重子の年齢を確認しなかつたことを認め乍ら年齢確認につき過失がなかつたものと認定し無罪の言渡をなしているがその理由として
(一)吉岡八重子が被告人方で稼働する前に出雲市、津久見市、臼杵市の各貸席で貸席従業婦として働きその間昭和七年一月四日生と詐称していた事実
(二)殊に臼杵市の貸席大盛屋においては所轄警察署より貸席従業者証の下附を受けて稼働していた事実
(三)被告人の夫山崎耐作は右事実に基き被告人の年齢を満十八才以上であると信じて前借金六万円を大盛屋に支払い雇傭し所轄警察署に届出て従業者証の下附を受け而も右六万円は今尚回収不能となり被害を蒙つている事実等
を挙示している。
二、抑々児童福祉法第一条第一項には「すべて国民は児童が心身共に健やかに生れ且つ育成されるよう努力しなければならない」と規定して居り国民のすべてが右のように努力すべき義務がある事を明示したのであるから児童を殊に心身の健やかな育成を阻害すべき売淫行為に従事させる為使用する者は法律上児童の年齢確認については単に使用者の主観はもとより児童の申述のみを以つては足らず児童の保護者又は監督者につき或は戸籍謄本、戸籍抄本、移動証明書、配給通帳等公信力ある書面等により客観的に通常可能な調査方法により児童の年齢を確認すべき義務を科せられているものである。
さればこそ同法第六十条第三項は特に明文を設け児童の年齢が満十八才に満たないものであることを知らなかつたとしてもその刑事責任を免れることが出来ないものとし年齢確認について過失ある場合にも処罰を免れずただ使用者に於て過失がない事を主張し立証し得た場合に免責事由となるに過ぎないとされているのである。従つて不可抗力によるものと認められる場合に限り過失の刑事責任を免れ得るものと解すべきである。
三、そこで原判決を検討するに
(一)先づ児童たる八重子が告人方に雇傭される前に被他の貸席に稼働していたから年齢が足りていたと信ずることは被告人の夫又は被告人がその主観によつてかく過信したもので何等客観的に通常可能な年齢確認方法を講じたものとは言へない。被告人は被告人自身として児童を使用するに当り年齢確認義務を負担しているもので、他の貸席又は被告人の夫が年齢確認義務を尽さなかつたとしても之は他人の責任で被告人の刑事責任には何等の消長を来さないものである。
(二)次に之は原判決が最も主要な理由として挙示したものと思料されるが八重子が被告人方に稼働する前に臼杵市貸席大盛屋に於て稼働していた際所轄警察署より従業員証の交付を受けて居り被告人並に被告人の夫はその為に八重子が十八才以上であると信じていた事実である。
併し右従業者証には従業員の年齢が記載されてあるが(押検第二号)之は所轄警察署が使用者の雇入届書のみ或は更に従業者の供述を聞いただけで(証人小野福一、同大見勝供述参照)別に従業者の年齢確認の方法を講せずして交付するものであつて年齢確認を主目的としてなされるものでなく警察が風俗営業の取締、実態把握の必要上なすもので而も届出さえあれば簡易に届出後五日以内に交付されるものである。従つて右従業者証は年齢確認についての公信力ある書面とは言い得ないものである。而も被告人は従業者証を交付されている事を知つていただけで警察署に赴き係官に聞くとか原簿を見るとかの積極的調査は何もしていないのである。よつて警察より発行する従業者証により十八才以上である事を信用したからと言つて児童の年齢を児童より聞いたと同一に帰し未だ以て年齢確認に対する通常の調査義務を履行したものとは言い得ない。
(三)更に原判決は被告人が六万円借金を支払いそれが回収不能になつている事実及び所轄警察署に届出で従業者証の交付を受けている事実を挙示しているが前者は単に犯行後の情状に過ぎないもので年齢確認につき過失を判定する資料とはなり得ず後者は前記(二)記載と同様の理由により過失の責任を免れる理由とはならないものである。
(四)最後に原判決は前記挙示の理由を総括して被告人が満十八才であると信じ且かく信ずるにつき相当の理由があつたものとし被告人に期待可能性がないという趣旨の断定を下している。大体児童の年齢を確認する方法は児童より年齢を聞くこと又は所轄警察署より従業者証の下附を受けている事を聞知する事によつてなすのが通常可能な方法ではなく原判決が明らかに指摘している通り戸籍謄本戸籍抄本又は移動証明書配給通帳等公信力ある書面により確認するのが通常の方法で而も此等調査方法は容易に講じ得る方法である。
されば被告人が斯る通常要求されている方法を講じないで漫然児童の言を信じ又は所轄警察署より従業者証が下附されていた事を信ずるのは此の点につき明らかに過失があつたものと認定し得べきもので被告人に期待可能性がないとは断じて言われないものである。
以上の理由により被告人が八重子の年齢が満十八才に満たない児童であることを知らなかつたことについて過失があると認定するに足る十分な証拠があるに拘らず原判決は事実を誤認し被告人に期待可能性なきものとして無罪の認定をしたのは明らかに重大な事実の誤認であり破毀を免れないものと断ぜねばならない。